他人軸から自分軸へのポールシフト
- ryuogurikazue
- 2017年7月23日
- 読了時間: 5分
私は自分の軸で生きてこなかった。
それに気がついたのは、去年のことだった。
他人軸から自分軸へのポールシフトが起こったのは海の中。
今日は、その感覚をつかんだ時の話を書いてみたい。
***
40歳頃(2009年)を境に、
今までの生きた方ではどうしても越えられないことが
ポツリポツリとおこり始めた。
例えば20歳の頃から続けてきた演劇活動。
小さな劇団ゆえ、劇作家、役者、制作の仕事、舞台美術に小道具、等々、
みんながいろんな役割りを兼任しながら芝居を作る。
2009年、友人の事故死という大きな出来事のあと、 精神状態が良くないなか、行ったある公演を境に、
私はバーンアウトした。
「疲れた、もう無理だ、自分ではもう芝居をやりたくない」
バーンアウトしてから7年がすぎた2016年、
ようやく心の底からやってみたいと思うテーマに巡り会った。
しかし、また燃え尽きてしまうのではないか、という不安は大きかった。
芝居のことみならず、人間関係なども、うまく噛み合わず、空虚感はどんどん大きくなって、辛い出来事も重なって、一時は、自分が何をやりたいのか、どころか、何を食べたいのかもよくわからない状態に陥っていた。
自分の今までの生きかたを変容させなくては、これ以上もう先へは進めない、と覚悟した。
蛹が蝶に変るとき、一度、全ての内臓がドロドロに溶けてから再構成されるそうだ。
蛹のままで終わるか、蝶になるために命をかけてドロドロに溶けてみるかしかない。
生まれ変わりたい、そう思っている私がいた。

友人たちのススメに従い、
ある療法のカウンセリングを定期的に受けることにした。
加えて、日々、自己観察を続けた。
そうして、次第に自分の生きかたの癖や
思考パターンのようなものがわかってきた。
自分には価値がない、と思っていること。
人から認めてもらった時に、自分に価値があると思える。
だから他人に、いい評価をされたいと思って行動する。
いい人、面白い人、役に立つ人と思われたい、
それが自分の行動のモチベーションだった。
つまり私は、人の評価・人に軸を預けた状態でずっと生きてきたわけだ。
それは多分、自分の母親に認められたい、
愛されたい、という幼い部分から発生しているのだと思う。
自分のパターンはわかったけれど、
実生活では、ますます混乱は深まるばかり・・・。
これは自分が望んでることなのか、
それとも、
人が望んでいるのでやろうと思っているのか、
それとも、
その人が望んでいると勝手に思い込んで、
勝手にそうしなければ、と思っているのか?
いちいち立ち止まって、自分に問う必要があった。
問うてみてもわからないことも多くあった。
深い霧の中を手探りで進んで行くような毎日。

そこに光が射したのは、そう、最初に書いた海だった。
毎年、1年に1度、私は海へ行く。

なき砂で有名な京都の丹後半島の浜に
家族、友人たちとともに訪れる。
テントを設営し、海で泳いだり、
バーベキューをして、海を満喫する。
高い透明度の海。
岩場もあって、いろんな生き物が生息している。
私はそこで、シュノーケリングするのが大好きだ。
(これは本気で好き)
1年間、ずっと楽しみにしていた海。
その海にひたって、しばらくすると、なんだか落ち着かない。
せっかく海にきたのに、
お天気も水温も最高にいいコンディションなのに、
海に入ったとたん、ソワソワしはじめる。
これ毎年、いつもそうや・・・なんで!?
じぃっと、そのソワソワする気持ちを
プカプカ海に浮かびながらを眺めてみることにした。
ソワソワを細かくみていくと
「**さんはどの辺におるのかな、一人かな、大丈夫やろか」
「いま何時かな? そろそろ海からあがって、
ごはんの用意しにいかなあかんかな」
周囲の人のことや、
段取りのことを考えて落ち着かなくなっている。
もう少しその気持ちの奥をみていくと、
「楽しむことを、悪いことだと思っている。」
「楽しむと、周囲に嫌われるんじゃないかと思っている。」
自分が楽しむと、人に嫌われる・・・と思っている私をみつけた。
私は、びくびくしている私に、こう語りかけてみた。
「とりあえずさ、今日は、今日だけでも、周りのこと、一回、忘れよう。
もうこれ以上泳ぎたくないって思うくらい、とことん海を楽しもう」
で、泳いだ。とことん、無心で。
午後から引き潮になったので、沖のほうまで泳いでいった。
皆を心配させるといけないと自己規制していた、
今まで行ったことのない場所へ入った。
急に深くなるあたりの、安全と危険の間に浮かんで
大きな魚を眺めたり、思い切り潜って海底の岩陰を探検したりした。
泳ぎながら、
「そうか!これが、自分がやりたいことをやる、という感覚なんや」とわかった。
自分の感覚と、自分の本能に従って行動することは、危険も伴う、怖い、でも面白い。
もうこれ以上泳げへん、疲れた〜!!と納得するまで泳いで、海からあがった。

海から上がると、重力が増した。重い体。
ごはんの準備も手伝わずに、申し訳なかったなあと、
トボトボとキャンプ場へ戻った。
友人たちが、おかえり〜と、ニコニコしながら迎えてくれた。
そのうちの1人が
「小栗、いまめっちゃ、満足そうな顔してんなあ」と言ってくれた。
そっか・・・私、満足した、めっちゃ満足したんよ。
と言ったら「よかったなあ」と返してくれた。
ああ、そうか、私、楽しんでいいんや、(今更?!って感じでしょ)
自分が楽しむところから始まるんや、
とようやく、自分軸で生きることのスタートラインに立ったのだった。

それから1年。
進んだり、後退したりもしながら、
自分軸で生きている、と実感できるようになってきた。
そして、自分が楽しむことが、人をも楽しませることができる、 そのことが現実の現象としておこるようになってきた気がする。
変容の過程の中で、大人気なかったなあ、申し訳なかったなあということをしてしまった人もいる。その人には、ちゃんとごめんなさいを伝えなくては。
正直、どうしたらいいのか、まだ見えてこない。
けど、一歩ずつ、自分の心の声に従って、前に進もう。
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