仙台の旅4プロローグ「寂しさ」という底なし沼
- ryuogurikazue
- 2017年4月18日
- 読了時間: 3分
ごめん、まだプロローグです。にゃはは(笑)
私は、人みしりもあまりしないし、友達も多く、リア充女だと、と思われているかもしれない。
でも、実は、ほんとうは私は寂しい人だった。
そばにたくさんの友人や知人がいるのに、その人と本当に触れ合うということができていなかった。
それは、ずっと「良い子」の仮面を脱げなかったから。
そして気がつけば40代なかばの中年期になって、とうとう「本当の自分」がやりたいことがさっぱりわからなくなってしまっていた。
そこで去年の半ばからフラワーエッセンス療法の専門家の助けなどを借りながら、本当の私とつながる旅が始まった。
とても印象深い出来事がある。
毎年、芝居仲間と海水浴場でキャンプをするのだが、
海でスキンダイビングをはじめた私の脳みそは、すぐにこんなことを思いはじめることに気がついた。
「あ、そろそろ⚪︎⚪︎ちゃんがバーベキューの用意始めたんちゃうかな」とか、 「⚪︎⚪︎さん無事かな、様子見に行ったほうがいいかな」 そして泳ぎ始めたばかりなのに、そわそわと落ち着かない。
なので 「今年は、周りのことは気にしないで、
自分が心ゆくまで、もう疲れたから海からあがりたいって思うまで泳ごう」と決めた。
実際にみんなのことを忘れて、私は心ゆくまで、もう充分ですって思うまで、
しっかり泳いでキャンプ場へ戻った。
かつて感じたことのないくらいの「至福の時」だった。

戻ってきた私の姿を一目見て、火の番をしていたKくんが、 「おぐり、すっごい充実した顔してるなあ」と微笑んだのだった。
ああそっか!これや!!これが正解なんやって思えた。
周囲に望まれる自分を演じるのでなく、私はちゃんと私で在っていいんだ。
しかし長年染み付いた生き方のパターンを変えるのは容易ではない。
自分に正直に生きるんだ、と思ったら、タガがゆるんで、
わがままをになりすぎたり、不用意に怒りをぶつけてしまったり、そういう失敗もたくさんした。
同時に、過去の過ちや、自分がいい子になって押し殺してきたものも噴出しはじめる。
例えて言うならその頃の私は、車に爆弾を乗っけて、見知らぬ街、
しかも地雷の埋まった土地をぶいぶいと走るみたいなスリリングな状態。
こわい、苦しい、進みたくない、なにもわからなくなる。
でも時々、先ほど書いた海で体験したような「至福の時」というのが自分に訪れるようになっていく。
それは多分、自分が自分のままでいられた時、「生(なま)」の私に届く、自然や人から贈られる「エネルギー」のようなものかな。どうかな?
仙台の友達キョンちゃんは、私が苦しい状況にあるのを知っているわけではなかったが、私が「至福感」についてFacebookに書いたとき、電話をかけてきてくれた。
キョンちゃんの声を聞いて、急に涙がポロポロとこぼれた。
孤独な心の旅の道の先で、彼女が灯りを持って立っている。 こっちこっちと手をふってくれているような感じだった。 すっげえキョンちゃんに会いたいと思った。
そして3月30日(木)、色んなことがひと段落し、 キョンちゃんに会いに、仙台に飛んだ。
続く
写真は海のキャンプ場でみた夕日。
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